心は鍛えなくていい。

   

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メンタルが強くなりたいからって、ワシワシ腹筋でもするかのように頑張って鍛えようとする人がいるけど、ガチガチに鍛えられた心はかえって折れやすく、柔軟性を失ってしまうのね。

心は肉体と違って外からは見えないものだけど、見せるために作るものじゃないからね。ボディビルダーみたいに、無理やり強化した立派なメンタルは、かえって自分を追い詰めてしまうし、人生を窮屈にしてしまうの。

だから私は、世間の多くの人が求める「心を強くしろ!」というプレッシャーに押し潰されてしまうのは、根本的に違うんじゃないかなって言いたいの。そんなことにこだわらなくていいんだよって言いたいの。

理想的な心の状態っていうのはさ、そういう心の状態とは正反対で、コンスタントにリラックスしてる状態なのね。つまり、どれだけいつも自然体でいられるか、ナチュラルで軽やかな状態を保てるか、余計な力を抜くことができるかってことなの。

常識や固定観念に縛られてる人って、自分と意見が違う人を見るとすぐにイライラしたり、否定したがるでしょ。でも本当の意味で心が自分は自分です状態にあると、その程度のことで、影響を受けたり揺らぐことはないのね。つまり、世間でいう強いメンタルは、「意固地になって凝り固まった心」なのかもよって話なの。

そういう意味で、一般的に言う強いメンタルって心が固くて重いのね。
自分の劣等感や弱さを見透かされるんではないかと、いつも疑ったり、警戒したり、緊張してる状態なのね。

一方で、私が理想的だなと思う心の持ち主は、いつも力が抜けてて、リラックスしてるからそれがないの。

ギスギスしてなくて、ふんわり♪してるの。
どっかユーモアがあったりして、ぽよよん♪としてるの。
軽くて柔軟で、どんな意見や価値観も許容できるのは、常に自分という主軸があって自然体だからなのね。

自然体でいられるのは、ありのままの自分を認めてるからなのね。
だから変な緊張もしないし、ムキになって自分と違う意見の持ち主を否定することもないわけ。緊張っていうのは、自分を必要以上に立派に見せようとするときに起きる現象だからね。いつもナチュラルで柔らかい心は強ばる必要性がないのね。

お釈迦さま(釈迦)ってね、最初は滝に打たれたり、肉体を痛めつけたりして、苦行で悟ろうとしたんだよ。でも、どれだけ難行苦行を重ねても悟れないと気づいて、マイルドな瞑想に変えたと言われてるのね。こんなことをするより、のんびりと自分自身と向き合ったほうが悟れるんじゃないかと、方法を変えたの。

そしてあらゆるこだわりを無くすことが、究極に心を軽くすることだと悟ったの。

1つの考え方にこだわり過ぎてしまい、心が極端に偏ってしまってる状態はきついからね。重いから、ストレスがどんどんたまっちゃうの。

だから、もっと心を強くしなくちゃと焦って強くしようとすればするほど、心は自責と自己否定を増強しながら、下手したらうつの方向へ傾いてしまうの。

ね。

心は鍛えるものじゃなく、軽くして自由にするもの

人生なんかたかだか数十年なんだからね。
他人と比べて強いとか弱いとか、そんなことにこだわって悩んでないで、いつもありのままのでいればいいんだよ。

りらっくす♪

 

 

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